Θ仕事やめたい。つらい。じゃあ君は何がしたいのかな?
会社をやめたい。残業することが正義みたいな雰囲気が本当に嫌いです。それでも僕は耐えてきました。一生懸命にやってきました。でも先輩には耐えられません。
パワハラがひどい先輩がいるんです。
ふだんは残業が多い仕事なんですけど、定時でやっと帰れる日には先輩が「よし!行くぞ!」みたいに待ち構えてるんです。飲みに連れてかれたりパチンコ屋に連れて行かれたり。
断りはするんですけど、それでもむりやり連れてかれたりとか。いっかい本気で断って行かなかったんです。でも次の日仕事に行ったら午前中すごく機嫌が悪くて。
たるお です。ボンジュール( ̄∠ ̄)ノ
2文字でいうと「カス」ってやつですね♪
あっ、彼の先輩の話ですよ?
相談者の彼は仕事におおきな悩みを抱えていました。会社や先輩への不満がたまってしまい悩んでいたんです。このまま勤め続けるべきか、それとも辞めるべきか。
さて、あなたならどうしますか?
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みんなあんまり知らないんですけど、じつは仕事がおわったあとに飲みに誘うっていうのが労働基準法に違反してるんですよ。時間外の関係の強要っていうのは本当は違反なんです。
みんな気づいてないっていうか、そういう文化になっちゃってるんですよね。日本じたいが。まぁバブルの名残なんだろうけど。
やっぱりバブル経済のときとかがそうだったんですけど、幻想の数字がデカくなるのを追いかけるために、みんながガムシャラに頑張って、そこに快感を覚えたりとか。
いまはバブル経済のときのように数字が上がらないのに、その文化だけが残っちゃったっていう悲しい状況なんですよね。
さきに確信を話してしまうと、
けっきょくは自分が何をしたいかで決めるのが一番なんですよ。したくないことならしなくていい。これは本当にそうで、現代社会っていうのは昔と違って、必要のない人間のほうが多いんです。
昔は違いました。
むかしはインフラを整えるとか、会社自体をどんどん大きくしていくってのが目的だったんで。数字をでかくするとか。だから言われたことを出来る人が重宝されたんですよ。
でも言われたことが出来るっていうのは、今はもうパソコンができちゃってるんで要らなくなってきてるんです。
たとえば昔だったら、自動車事業が盛り上がったときには車を組み立てるのに何人か人を使ってたけど、機械が1個導入されたら何千人もの人が一気にリストラされたじゃないですか。
それと同じで、やっぱり人手っていうのは必要じゃなくなってきてるんですよ。たとえば会社とかでサボってる人がいるとすれば、それは1人分の人件費が無駄になってる。そういうことに企業も気付き始めていて、どんどん首を切ってるのが現状なんですよね。
じゃないと、人が余ってないとニートなんて生きていけません。ニートってものが成り立ってる時点で人は余ってるんですよ。
そんな中で自分が、どこかにとって重要人物であるべきなのかって話です。あなたが誰かにとって大事な立場でいる必要があるかって話じゃないですか?
だったら、どうせ人なんて余ってるんだったら、自分の好きなことやればいいじゃんっていう話なんですよね。しかも好きなことがお金になる時代だってことを、みんな気づかなきゃいけない。
だって、もう大事なものっていうのは押さえられてるじゃないですか。水道や電気とか全部そうですけど、このへんはすでに国が押さえてるし、携帯電話事業も押さえてる。飲食店もたくさんある。服もだいたいある。
ようは、必要なものっていうのは誰かがもう揃えてるんで要らないんですよね。まゆげの書き方を教えていただけで稼いでた人もいるんですから。
人生がときめく片付けの魔法っていう本があるんですけど、その人はただ片付けがめちゃめちゃ好きだったんですけど、片付けコンサルとかで超稼いでたわけじゃないですか。
そういう時代なんですよね、今は。
時代がそういうのを求めてたりするんですよ。
なぜかって言ったら、
もう物の価値がなくなってるからです。
たとえば、家電量販店に行ったら、いつでも大特価。「定価でなんて買いませんよ」っていう時代じゃないですか。ご飯も松屋とかマックでも十分だし。服だってユニクロもだんだん良くなってきてて、ZARAとかもメッチャ安いじゃないですか。
ものを買っても満足しない時代がきてる。
ゲームですらスマホで無料でできる時代なわけですよね。
じゃあ人は何を求めてるの?
それは自己向上です。自分をもっと高めていきたいっていうことに目的が向かっています。だからユーキャンとか盛り上がるわけです。
ユーキャンとかは、資格を持ってるといいよねっていう、まぁ一種の洗脳なんで全然そんなことはないんですけど、それがいま成功してるんですよ。資格を持ってたら一生安泰っていう。
まぁ普通に考えたら、資格をみんなが持ってたら、資格を持ってんのが普通になるから意味ないじゃんって思うんですけど、みんな気づかない。自分を高められるって思ってる。
英会話とかもそうですよね。
あとは美容業界とかも同じです。
綺麗になりたいっていう自己向上。
自分のためにお金を使うっていうのが基準になってきてるんですよ。自分を高めるために。だから、片付けで自分が高まると思ったら、片付けにお金を払うんですよ。
まぁインフォビジネスとも言われてますけど。情報を売る、情報でお金を稼ぐと。時代にマッチしてるんですよね。売る側も情報を売るっていうのは在庫リスクを抱えないし、利益率がめちゃめちゃ高い。
ほぼ100%ですよね。
たとえば英会話を教えられるんだったら、どこかで働いて月20万とか貰うくらいだったら、自分でお客さんとかとって1人5000円でも取って、1時間教えるとかでもスゴく嬉しいんですよ。
ふつうの英会話教室とかだと、月に10000円以上取って週に1回30分とかだけだったりするんで。ぜんぜん喋れるようにならなくて、もちろん自分の努力も必要ですけど。
だったら5000円で1時間見てくれる方がいいじゃないですか。単純計算で4倍価値があるわけですから。
だから1人でそういうふうにお客さんを取っていって、5000円だったら50人お客さんを取ったら、もうそれで月に25万円ですよね。生活できるじゃないですか。自分が好きな英語を教えるだけで、自分で自由気ままに時間使って出来る。
50人だったら、たとえば1回5人グループで1時間だとして、10時間ですよね。週に使う時間が。で、月間の労働時間が×4で40時間ですよ。正確には43時間くらいですけど。
43時間の労働で25万円得られるわけです。
まぁ厳密に言うと税金がどうのとかあるんですけど、だいたいそのくらい稼げるわけです。自分の生活できる分はホントは自分でお客さんを集めてやれば出来るんですよ。
しかもお客さんも嬉しいじゃないですか。たっぷり時間使ってもらえるんなら。時間を倍にしたとしても86時間ですし。嬉しいに決まってるじゃないですか、お客さんは。
自分も自由に時間を使ってお金を稼げるっていう、こういうことができる時代になってるんですよね。だからやるべきだと思います。
だってみんな気づいてるわけです、
大企業がやってることっていうのは
小さくして細かくして高く売る
ってやつで、そうやって利益を取ったりしてるんですよ。会社をデカくしたから人件費も場所代もかかるので。だからどうしても、1週間で30分くらいのサポートしかできなかったりするんですよ。
だからこそ「僕は同じくらいのことが教えられるし、金額も半分でできてサポートは倍にできますよ」って言ったらみんな嬉しいんですよね。
しかも時代的には自己向上にお金を使いたいから、そういう人たちが儲かる。
これはすでにアメリカで起きてることで、日本の市場は常にアメリカの後追いになってるんです。アメリカで流行ったものが日本で流行る。
「いまウクライナでこれが大流行です」
なんて言っても日本では流行らないじゃないですか。アメリカで流行ったものが日本で流行する。だから日本人って本当は超得なんですよ。前例がある状態ではじめられるから。
だから、それは活かすべきなんですよね。
そう考えると、自分で好きなものを勉強するなら勉強してもいいと思いますし、情報に変えてお金を稼ぐっていうのがナウというか。
なによりこれは尽きないビジネスモデルとも言われてるんですよ。なんでかっていったら、人の悩みが尽きることはないからなんです。常に「もっともっと」と思ってるわけです。
だからその「もっともっと」に合わせて提案できると、ずーっとできるモデルだっていうことです。
たとえば英会話だったら、最初は英単語とか発音を教えられればいいっていうレベルだとするじゃないですか。たとえばですけど。教えてたとして、じゃあ単語は喋れるようになった。
今度は日常会話がスムーズにできるようになったらいいなと。そのときに自分が日常会話をスムーズに話せるようになってたら、それも教えられますよね。
で、今度はビジネスシーンで使えるようになりたいってなったら、自分もそのときにはビジネスシーンで使えるようになっておけばいいんです。また教えられるじゃないですか。
っていうように、どんどん次のレベルへ進めてやっていけるんですよ。
もっと言っちゃえば、
英語をビジネスシーンで使えるようになったから、こんどは海外で活躍したいってなったら、自分が海外に行って何か事業を起こすとかして、今度はそれをビジネスコンサルとして、どうやってアメリカでビジネスをするのかってところで教えられるんです。
だから自分の人生を全て使ってお金に変えられるんですよ。こういうのをマネタイズって言います。
こういうことができる時代なんだってことを、まずは知っておくべきなんですよ。で、そういう現状を踏まえた上で、今の自分の悩みと照らし合わせるのが大事なんです。客観的に見て。
どうしても今の自分の住んでるワールドだけだと、何かやるにしても不安じゃないですか。だから、そういう世界もあって、自分の生きてる世界はこうなんだなって比べることが大事なんですよ。
で、あとは冷静に客観的に分析して、自分がどっちがいいかなで決める。どっちが正解かっていうのはないんですよ。
会社に就職するのが悪いなんてことは全くなくて、けっこう自分でビジネスをやってる人って「会社に雇われてるのはリスクがデカイ」とか「社畜」とか言ったりするんですけど、全然そんなこともなくて、そこに自分の信念があればいいと思うんですよ。
「この会社に勤め上げることが僕の人生の目的なんだ!」って思って働いてる人もカッコイイじゃないですか。そう人も実際にいますし。実際その企業じゃないとできないこともあるだろうし。
どうしても個人でやると規模は企業より小さくなりますからね。だから大きなことやりたい思ったら、そっちの方がいいかもしれないです。そこに信念があるんだったら、それはそれでいいんですよね。
だからこれはバランスの問題です。
中庸とかいうんですけど
聞いたことあります?
「ちゅうよう」って読みます♪
孔子が説いてるんですけど、真ん中が大事ってことです。極端にアッチがいい、コッチがダメ、アッチが駄目、こっちがいいじゃなくて、真ん中を取る。アレもいいしコレもいいよねと真ん中を取る。
アレはこういうがリスクあって、コレはこういうリスクがあるよねと。で、自分は真ん中を取るわけです。できるだけ自分のことを客観視して。それで、真ん中をとって、バランスを取った状態で、選ぶ。
ってことは何が起きるかって言ったら、ぜんぶ、アレもいいしコレもいいよねってことになるんですよ。
じゃあ何で選ぶべきかって言ったら、なんだと思いますか?
たとえば女性だったら
「あの子はめっちゃいい」
「あの子はめっちゃ巨乳」
「あの子はめっちゃ性格がいい」
「あの子はめっちゃ美脚」
どの子もいいよねと。綾瀬はるかも佐々木希も石原さとみも、なんだったら松岡茉優もいいし、芦田愛菜ちゃんもいい。
芦田愛菜ちゃんはヤバイな(笑)
みんないいよねと。みんないいんですよ。だから、どれも正解なんですよ。
「じゃあ何で決めるの?」
ってことです。
それがさっき話した、自分が好きかどうか。
自分が興味があるかどうかで決めるってことです。もともと正解不正解なんか無いんですから、自分がやりたいかどうかで全部決めればいいんですよ。だれも困らないんで、それで。
なんでかって言ったら、さっきの話に戻ってくるんですけど、人は余ってるから。やらせとけばいいんです。誰でもできる仕事は誰でもいい、なんでもいい人にやらせとけばいいじゃないですか。我慢できる人に。
でも我慢できないんだったら、自分の好きなことをやればいいんですよ。それは我慢できる人に任せればいいじゃないですか。それがその人の才能ですよ。自分は我慢できないんだったら、自分の好きなことやればいい。
だからわがままに生きても誰も困らない時代なんですよ。だからわがままに生きたらいいと思うんです。
そこにみんなメンタルブロックがあるんですよね。なんか「みんなと一緒に」とか「みんなが我慢してるから自分も我慢しなきゃいけない」みたいな。
そう思っちゃうんですけど、全然そんなことないんですよ。それは視野が狭いです。
だってそんなこと言ってたら、極論ですけど、アフリカとかの学校もない子供達が飢餓で亡くなったりするじゃないですか。その子達が周りも亡くなってるから自分も別にいいとは思わないじゃないですか。極論ですけどね。
周りがこうだからっていうのはないんですよ。周りが我慢してるから自分も我慢するっていうのは、どっちかというと「悪」です。そうすることによって、それが正解としちゃうんで。
たとえばパワハラを我慢するのが当たり前になったら、いずれもしかしたらパワハラが原因で自殺する人が出てくるかもしれないじゃないですか。
で、そこでたとえば自分が、「パワハラはないよね」ってハッキリ言って辞めるとしたら、それを見て、「あ、そういうふうに自分で好きに選んでいいんだ」って気づく人もいるかもしれないじゃないですか。
そうしたら我慢して我慢して自殺する人が減るかもしれないですよね。すんごい極端な例になりますけど。
でもこうやって、人って、何かアクションを起こすとプラスの影響を与えたりするんですよ。もしかしたらマイナスの影響も与えるかもしれないですけどね。
それによって辞めるのが流行っちゃって、会社の業績が落ちて、潰れっちゃったとかなったりしたら。だとしても、経営者的な目線で言ったら、それぐらいで潰れる会社なんか初めから要らない会社なんですよ。
けっこういるんですけどね、バイトを辞めれないとか。僕しか働いてくれる人がいないから、なかなか辞められないんだと。でも、自分のやりたいことじゃないんだったら辞めればと思うんですよ。もしくは時間を減らすとか。
「いや、それだとお店がキツくて」
それでお店がキツくなるなら、そこの店長が悪いんですよ。責任の所在を明らかにしたほうがいいんですよ。店長が他のバイトを教育してないからなんですよ。バイトなんていつ辞めたっていいんですから、本当は。
いつ辞めるかもわからない人を雇ってるんだから、そのくらいのリスクは覚悟してるはずなんですよ。だから、いつ辞めてもいいように他の人を育てておかなかった店長が悪いよねって話なんです。
もっと言ったら、店長を任せている上の人間が悪いし、最終的には会社の責任者の問題なんですから、いち雇われ人がそんなに気にすることはないんですよ。
僕から1つだけ言えることとして、僕にとってですけど、替わりが効くことやってちゃダメなんですよ。
ダメっていうのは僕の感覚ですけど、単純に楽しくないし、何も生まないんですよね。替わりが効くっていうのは最終的には機械に替えられるってことなんで。
じっさい人工知能も発達してて、チェスの世界チャンピオンにも勝てちゃうとか聞いたことありませんか?チェスのソフトがチェスの世界チャンピオンに勝っちゃう時代になってる。
これがそのまま進んでいったら機械のほうが賢くなるわけじゃないですか。そう考えたら少なくとも会社の業務とかでやってることっていうのは替わりが効くようになる。
じゃあどういう人たちが必要とされるのかと言うと、より人間味があるというか、そういうものを提供できる人。そういうものが求められるようになってきます。
じっさい今ぼくが文字を打っいてるMacBookとかそうですけど、パソコンとか持ってます?
なぜパソコンとかでアップル製品が流行るかって言ったら、温もりがあるんですよ。見てみたらわかるんですけど、パソコンっていうのは元々はシステムシステムって感じだったんで。
だけど、いまはそれを一蹴して、全体的に可愛くなってるんですよね。
たとえばメモ。開いたらわかるんですけど、可愛くなってるんで人間味を感じるようになってるんです。わざわざメモの紙っぽくしてて、破いたあとがあるんですよ。こうやってどんどん人間味をみせてるんです。
あとは、メールが来るとわかるんですけど、アイコンがピョンピョン跳ねたりするんですよ。操作も感覚的で、難しいこと勉強しなくても、スッスッスッスーとできる。
どんどんどんどん人間に近くしていくっていうことをしてAppleは盛り上がっていったんです。もちろんデザインとかもありますけど。
まぁパソコンの良し悪しでいったらモメるんですけど、でも現実問題として流行ってるわけですから、認められてるってことですよね。じゃあ一番特徴的なところは何なのかって言ったら、さっきの温もりなんですよね。
わざわざメモ帳はメモっぽくしてるっていう。アナログっぽくするってことですね。動画とかもシアターっぽくなってて、幕があって観客席があってみたいな。
やっぱり人間的な温もりを求めてるんで、だからそれに合わせるとスゴくいいですよね。
この温もりっていうのは無駄なものなんですよ。そういう無駄なもの、プラスアルファのものっていうものを求めるようになってるんです。無駄を削ぎ落として削ぎ落としてきたんですけど、今まで。
でも、削ぎ落としすぎて「だったら人間なんて要らねーぞ」になっちゃったんですよ。だからこそ無駄なものを更に求めるようになってきたんです。
それがさっきの自己向上とかにつながるわけです。無駄かもしれないけど、なんか茶道ができるといいよねとか、料理作れるといいよねとか考えちゃう。
たとえば男の料理教室とか流行ったんですけど、男性が料理作れるって必要かって言ったら必要じゃなかったりするじゃないですか。だけど料理を作れたほうがカッコイイからって。
無駄かもしれないけど、自分のオプションとして揃えたくなる。無駄なものを求めてる時代になってきてるんです。だから、ある程度好き勝手やっても、お客さんは集まるんです。
こういう時代って、じつは過去にもあるんですよ。それが江戸時代なんですけど、江戸時代って、カッコイイ煙草の吸い方教室があったりしたんです。
常に人間っていうのは、そういうふうにして進化してきた。無駄なものを求めて。いっけん無駄だなと思うものを本気で突き詰めた人間が、次のムーブメントとか文化を作ってきました。
だからもうしかしたら、飛行機ができるってなった時にも、飛行機ができる前の人たちは「船あるからいいじゃん」って思ったかもしれないですよね。
車も船もあるんだから、間に合ってるじゃん。そんな危ない。危ないものワザワザ作るんだったら、船と車があるんだからいいじゃん。
と思ったかもしれません。
でも、ただ飛びてぇとライト兄弟が頑張って、「飛びてーんだ、鳥になりてーんだオレ達は」って飛んでったら、それが今は新しい文化を作ってるじゃないですか。
「いいじゃん」って思ってる人たちがほとんどなんですけど、「よくねぇ」と思って無駄っぽい挑戦をした人たちが新しい文化を作ってるんですよ。
で、飛ばしてみたら
「ぜんぜんはえーじゃん!飛行機!」
みたいな感じですよね。
だから、大衆は気づかないんですよ、
基本的にはそういうものに。
なぜかって言ったら、みんなと同じ生活をしているから。同じ生活して、同じ価値観で、同じ景色しか見てないから気づかないわけです、そういうことに。
だから、ちょっとあぶれてアウトローなことをしたりとか、そういう人間のほうが色々見てるので、一見みんなが無駄っぽいことに気づくんです。しかも自由だから、好きなようにやる。そうするとそこに新しい価値が生まれちゃうっていう。
で、いまは本当に個人。個人が新しい文化を作れる時代なので、そう考えたら楽しそうじゃないですか?
で、元々そういうふうな進化の過程で人間っていうのは成長してるんですけど、守りに入った瞬間に上手くいかなくなるんです。とくにこういう時代の転換期っていうのは。
明治維新とかもそうでした。
あの幕末の時代とか。
「このままでいいじゃん!」って鎖国してたんですけど、世界の流れで通用しなくなるんですよ。「いや、ここに港を構えるぞ!」ってアメリカが来て、黒船が来て圧力かけられて、「やべーやべー、やべーぞ」と。
で、戦争するか開国するかみたいな感じになって、攘夷派と開国派に分かれていった。
そのときに守りに入った人たちはみんな死んでるんですよね。もっと言ったら、じつは攻めていった人たちもみんな死んでたりするんですよ。攻めるっていうか、さっきの中庸です。
真ん中を取れなかった人たちはみんな死んでる。「守るぞー」って言ってた天皇一派のところはもう「攘夷だ!攘夷だ!」って言われて斬られて、「攘夷だ!攘夷だ!」って言ってた人たちは新選組とかに斬られて。
じゃあ誰が変えのかって言ったら坂本龍馬なんですよ。坂本龍馬は中庸でした。
「もう叩っ斬るとかそういうんじゃなくて、国を開くっていうのものまれるわけじゃなくて、こっちも軍艦とか作って対抗して商業をやって商業として開国すればいいじゃん!」
中庸ですよね。真ん中です。
だから真ん中を押さえるのが大事なんです。
いまで言ったらビジネスやるのが正解だってわけでもないし、就職しちゃいけないってわけでもない。でも就職するのが正解でもないし、ビジネスやるのが悪いわけでもない。だから自分の選択として真ん中をとって好きなことをやればいい。
どうしてもみんなそこで「いや、、、」っていまの環境を考えちゃいます。「でも上司によくしてもらったし」とか「同僚もいるし」とか。
それを冷静に考えたときに上司や同僚の方が大事だなとおもうんだったら一緒にやればいいじゃんっていう話です。でも、それでも不満をかかえてるから相談に来るわけですよね。
いったん捨ててみてもいいんじゃない?
って思うわけです。
だってこれからの人生の方が長いんだから。だから好きなように選んだらいい。正解か不正解かで選ぼうとすると、その業界にとっては正解だけど国にとっては不正解だとかなってくるんですよ。
たとえばITバブルが起きたとき、IT業界とか日本の会社経営でいったら正解だったんです。ネットの参入というのは。でも国としてはNGでした。
なんでかっていうと電波の利権というのは洗脳に絶対必要なものだから。だからわざとテレビ局が少ないんですよ日本は。ふつうは民法とかいっぱいあって何百局とかあるんですけど。
そこで集約してることによって、政治がグチャグチャになってるときに芸能スキャンダルが大変なことになってるように報道すれば関心がそっちにいきますよね。うまく活用すると洗脳できるんです。
だから電波の利権は持っておきたかったんです。ITの参入は明治維新といっしょでヤバかったので止めたかった。だけど止まらないんですよね、時代の流れだから。開国と同じで。
「国を開け」って言うのと同じで「情報の統一っていうのをそんなにするんじゃねぇ」っていうのがきちゃたんです。
で、ネットが入ってきてブワーッと拡散して、むかしだったら絶対にかくされてた中国漁船の衝突とか、ああいうのがたくさん流れていく。昔からあったんですよ。ただ隠してたんです。
でも隠せなくなった。
情報というものをみんながただ言われたとおりに受け取っておわりではなくて、発信してされた情報が膨大にある中で自分に合うものを組み合わせていく。そんな時代がきてるわけです。
情報リテラシーとかいいますけど。
情報処理は機械だけでできる。
メールでさえフォルダ分けできるんです。
それを突き詰めたら情報の処理っていうのは勝手にやってくれる時代なんだから、その中で自分に必要なものを組み合わせて形にできる人たちっていうのは勝つんですよ。
ぎゃくにそうじゃない人はめっちゃキツイです。機械かもしくはインドとか中国の安い賃金で働ける人たちに入れ替わるので。
そういった意味でもさっき話した替わりがきくことをやってちゃダメだよにつながってきます。それでも「ここじゃなきゃできないことがあるんだ」と思うんなら、自分のいまいる環境でやるべきですよね。
自分の決断があるかどうかなんですよ。
誰かが言ってるからじゃなくて、
自分がどうなのかってことで全部決める。
それを踏まえたうえで
あなたならどうしますか?
不安におもうことはそこに飛び込まないと不安は解決しません。不安なほうへ不安なほうへ行くべきなんですよね。安心した瞬間に人間はおわりです。成長しないんですよ。
サッカーだったら最初は市民大会にでるのが不安。勝てるようになったら市民大会は不安じゃなくなりますよね。で、今度は都大会や県大会に行くようになる。不安。でもそこで勝てるようになると不安じゃなくなりますよね。
そこで慢心してるやつらは、せいぜいベスト16くらいで消えるんです。
つねに不安と戦って次に行くわけです。今度は全国大会。全国大会で勝ったぞ、なんなら優勝しちゃったぞ。そうしたら今度は何が不安かって言ったら連覇ですよね。
2連覇したら3連覇だって(笑)
つねに不安と戦い続ける。で、不安と戦うっていうと少し語弊があるんですけど、不安はお友達だと思ったほうがいいです。不安と希望はつねにセットであるので。
だって「絶対に付き合えるなこの子」っていう女の子とつきあっても面白くないでしょ。こんな子いけるかなっていう子とスケベなことしたいじゃないですか!
だから男でも追いかける男がモテないのもそこにありますよね。何をしても安心だから女の子に主導権を握られっぱなしで、すぐにポイされちゃったりする。
モテる男の人って、わたしが行かないと離されちゃうんじゃないかって女の子に思わせて追いかけさせることのが多いわけです。
不安は本当にチャンス。安心って思った瞬間に終わるので常にセットにすること。やったことないことをやるクセをつける。さらに高いレベルを求めてクセをつける。
ウォルト・ディズニーがディズニーランドは完成しないと言っていました。常に良くしていく、現状維持では後退していくばかりであるって言っているんですけど、ほんとうにその通りなんですよね。
それを聞いても、
まあよくないすか?
そんなに気張らなくても!
と思うんなら、それも1つの正解なんですよ。
たしかにこれからの時代ではキツイ。生きていこうと思ってもキツイ。けど、それでもそれがそれなりに楽しいんなら、それはそのとき気づくからいいんじゃない?
と僕は思うかなぁ。
気づくべきときにみんな気づくんです。「このままじゃヤバいな」って。それは明治維新のときといっしょ。バブル崩壊のときもいっしょ。
いまだったら笑い話ですけど、みんな本当にバブルが続くとおもってたんですよ。このまま成長し続けると思ってたんですよ。いまだったら「そんなわけねーじゃん」って話じゃないですか。笑っちゃいますよね。
それは今も全くおなじなんですよ♪
よ〜く考えてみましょ_φ( ̄ー ̄ )
今日はオワリッす!
おつかれさまでした♪
ではでは!
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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